特攻隊の手紙から想うこと

みなさんおはようございます。

社労士オフィスONEの沢田です。

昨日に引き続き知覧の話しです。

「知覧特攻平和会館」へ行って

まいりました。

館内は写真撮影禁止です。

ガラス張りで唯一撮影可能な「隼」

記念館の中には、さまざまな資料がありました。

メモできたことは

特攻隊は全部で1036名の戦死者

うち北海道出身者35名

中には特攻隊員全員の顔写真や

年齢が飾られています。

このように個別の情報を

具体的に目にするとより

感慨深いものがあります。

他にも特攻隊の装備品や遺品が

展示されていますが、私に一番

突き刺さってきたのは、特攻隊が

出撃前夜に親へ宛てた手紙です。

何百通とありますが

1つだけメモをとりましたので

掲載します。

相花信夫 少尉(18歳)

第七七振武隊

昭和20年5月4日出撃 戦死

母を慕めて

母上お元氣ですか

長い間本当に有難うございました。

我6歳の時より育て下されし母

継母とは言へ世の此の種の女にある如き

不祥事は一度たりとてなく

慈しみ育てて下さりし母

有難い母、尊い母

俺は幸福だった

遂に最後迄「お母さん」

呼ばざりし俺幾度か思い切ってこそ呼ばんとしたが

何と意志薄弱な俺だったろう

母上お許しください

さぞ淋しかったでしょう

今こそ大声で呼ばして頂きます

お母さん お母さん お母さん と。

館内は心動かされる手紙の数々です。

私が今回の知覧で決めた1番のことは

「自分の先祖をより大切にして

 後に誇れる人生を送ろう。

 誇れる人生とは私心ではなく

 家族へ、仲間へ、地域へ、日本へ

 何ができるかを考え行動すること」

これをやります。

すでに具体的に決めたこともあります。

最後に。

特攻隊の母と呼ばれた

鳥濱トメさんが初代を勤めた

富屋旅館の3代目女将さんが

おっしゃっていた言葉を記載します。

特攻隊の方々を感じていただき

「かわいそう」だけで終わって

しまっては、特攻隊は2度殺される

ようなもの。

彼らは覚悟を持って

心から国のために散華した

そこには私心などない

だから彼らは軍神と呼ばれた。

この志を感じて現代の人それぞれが

自分が何によって他の役に立てるのか

を考え行動すること

とおっしゃっていました。

ついつい日常に変えると忘れがちに

なってしまうことですが

「今日何をやりきって誰の役に立つのか」

日々日々意識して行動にしていきます。

よし!本日もやりきろう!!


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